overseas

2011.3.11/レッチェの記憶

今から15年前の今日、3月11日に私は友人と一緒に南イタリアのレッチェにいた。レッチェは長靴型をしたイタリアのかかと部分にあたる、荘厳なバロック建築が立ち並ぶ美しい街だ。この前日までずっと南イタリアプーリア州の白い街を周遊し、旅の最終訪問地がここレッチェだった。前日の夜遅くにこの地のB&Bにチェックイン。「あさっては成田からどうやって帰ろうかな〜」などとのんきに考え、気分はもう半分くらい帰国モードになっていた。異変を知ったのは現地時間の翌朝7時頃だった。この時期はイタリアと日本の時差は8時間。まさに東日本大震災が起こった数十分後だった。朝のベッドでゴロゴロしていると隣のベッドの友人が「ねえ!なんか日本で大きな地震があったみたいだよ!!」「え!そうなの?震源地どこだろう」この時はまだ事の重大さに気がついていなかった。ベッドの中であれこれ検索していると元ダンナ(この時はまだ普通に夫婦だった)からメールが届く。「大変だ!これは戦後最大の災害だよ。実家の両親と娘の無事は確認できた。また連絡するよ」と。この時点ではまだイタリアで大きなニュースにはなっていないようだったが、時間が経つにつれて旧Twitterで次々と被害の様子が流れてきた。絶句……。すると甥っ子からも生存確認のメールが届く。この頃はまだLINEはなかったんだ。「うちの親たち、今旅行中なんだよ。そっちの家族は大丈夫?」と。その後も次々と配信されてくる津波や大被害の映像で、私も友人もベッドの中で金縛り状態になった。帰国便は明日だけど、遠く離れた地にいる私らはどうすることもできない。。。そのまま昼過ぎまで私たちはベッドの中から起き上がることもできず、ひたすらスマホにあがってくる情報を見続けていた。午後になって友人が言う。「このままここでTwitterばかり見ていてもどうすることもできないよ。とりあえず外を歩かない?」そして不安な気持ちを抱きながら、私たちはレッチェの街に繰り出したのだ。

あたりまえだが、レッチェの街はごく普通に平和な空気が流れていた。だが歩いている途中で何人もの人が日本人だと思われし私たちに話しかけてきた。「家は大丈夫なのか?家族は無事なのか?」話しかけてくる人たちは皆、家族の安否を気遣ってくれた。もう、ニュースはイタリアに広まっているのだなとわかった。彼らは東北が日本のどのあたりなのかご存じないわけで、私たちの住む場所がニュースに出てくる映像のようになっているのではないかと心配してくれた。本当に道行く人が何人も声をかけてくれたのだ。とは言っても本当のところ遠い地で知ったニュースに我々はまだ本当の意味での実感が持てず、現実の出来事なのかも確信が持てないでいた。

この日はレッチェの歴史的建造物や広場や遺跡を歩き回り、何を食べたのかも覚えていない。翌朝ホテルを出ると広場で少年達が「コンニチハ!アリガトウ!」と声をかけてきた。あれから15年も経ってるんだ。彼らももう立派な大人になってるだろうな。

これ以後、東日本大震災のニュースを聞くともれなくレッチェの記憶が蘇る。美しい街の中で、やりきれなさともどかしさを抱いて歩き回ったあの日の記憶が。福島第一原発が煙を吐いている画像はチェックアウトするときにレセプションの女性が心配そうに見せてくれた。帰国便のアリタリア航空の機内でも、何人かのイタリア人に安否を気遣う言葉をかけられた。できることならいつの日かもう一度レッチェに行きたいと思う。そして、次はもっと晴れやかで平和な気持ちが持てるように。


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    LULUCA
    ●copy writer(main job)●photographer(side job)●parallel carrier(side job)★2012年に突如夫が失踪(行方不明)。後にそのまま離婚。現在は社会人になった娘と共に、自由気ままな毎日を過ごしています。こんな私が写真と文章で表現する、デコボコな日々をご賞味くださいませ。